2019年3月29日金曜日

自得

武術に限ったことではありませんが、先生から技術や練習方法などを教えてもらうというのは一般的な学習法ですが、私の経験上、先生が手取り足取り何から何まで教えてくれる事はなく、間違っているところや良くないところは注意はしてくれますが、出来るようになる為の方法までは教えてくれる事はなかなかありません。それにはいくつかの理由が考えられますが、こういった形での教授法は伝統的な文化の継承では珍しいことではないと思います。そこで学生に求められるのが「自得」になりますが、それには目標とするビジョンが必要で、先生の動きを模範にする事はできますが、「自得」とは今話したようなその門派の技芸の伝承だけではなく、武術ならば自分の得意なものや自分(身体的特徴や特性など)に合ったものを磨いていくというのも「自得」の範疇に入るのです。この「自得」は繰り返し練習していく中で自然に気付きがあったり、理論が構築されたりしながら会得していくのですが、その過程で疑問や迷いが出てくる場合もあります。その疑問や迷いがその時のスキルで解決できない時や、或いは研究熱心なあまり、他のところから似ているなどという理由から技術や理論を持ち込んでしまう事もあるかも知れません。通備門に於いて他門派の技術を採り入れることは否定される事ではありませんし、採り入れられたものはやがて「染化」され統一されるのですが、まだ通備拳として完成されてない人が、それを「染化」させ統一させる事はできません。歴史ある門派ならば、疑問や迷いの答えはそこにあるはずですし、また歴代の先輩方の故事、エピソードの中にもヒントや目標となるビジョンがあることもあるのです。

2019年2月25日月曜日

基本を大切に

初学者が最初に学び始めるものとして「通備弾腿」が一般的なようだと前回書きましたが、そこに求められるものは、なかなか体現出来るものではありません。なぜなら、歩型こそ馬歩、弓歩などの中国武術の初学者が最初に身に付けるべき物ですが、身体の操作法などの要求はその他のものと変わらないからです。この身体の操作法とは「大開大合」「擰腰切胯」などで、これらを実現するためには体力、柔軟性、身体意識(自分の身体の位置関係の把握)等が必要になってきます。因みに「中国武術大辞典」に拠れば、「通備弾腿」は馬鳳図先生が原有(←原文ママ)の弾腿の基礎の上に(中略)大量改進(←原文ママ)したとあるので、今のような練法になったのは馬鳳図先生から馬賢達先生の世代の頃という事になり、また「通備弾腿」を「入門技芸」と解説しています。私が馬先生の下で学んでいた頃は必ず基本の練習から始まり、その密度はその他の練習よりも高いくらいでした。その他の練習のための準備運動も兼ねているとはいえ、馬先生が基本を重視していたのは、限られた時間内でも基本の練習にかなりの時間を割いていたことからも容易に想像できます。「通備弾腿」に限らずその他のものにも、実用に向けてそれぞれ求めていくものがありますが、それらを身につけ体現するための通底した運動能力、或いは下準備というのが「基本」と言えると思います。武術で成功するためには基本を疎かには出来ないのです。

2019年2月1日金曜日

学習過程

通備門において初学者は十蹚弾腿から始めるのが一般的なようですが、私が最初に学んだのは一路劈掛拳でした。当時、馬先生は忙しかったためか学び始めた最初の頃は、代理として白鴻順先生が教えてくれたのですが、劈掛拳を最初にしたのは馬先生の指示か、或いは白先生の考えだったのかは分かりません。私見によれば一般的な学習の流れとして劈掛拳等の複招からなる套路は十蹚弾腿のような単招の後に学ぶのが自然に感じます。特に十蹚弾腿は馬歩、弓歩等通備拳というより中国武術の基本を学ぶには最も適していると言えるでしょう。但し、八極拳に於いては、単招練習である「金剛八勢」よりも、「架子功」としての位置付けである「八極小架」を先に練習する方が自然に感じます。もし、馬先生が劈掛拳から学ばせるようにしたのであれば、かなり昔の事で何を話したか記憶がないのですが、馬先生との面談の時に武術経験がある事を伝えた可能性があり、十蹚弾腿は後からでもいいと考えたのかも知れません。余談ですが、八極拳も「八極拳」を先に学び「八極小架」が後だったのですが、本来「八極小架」、「八極拳」の順で学ぶのですが、これは白先生の考えで先に「八極拳」になったと思います。このように私は体系的順序を追って学んできたわけではないのですが、現在進行形で私自身も学ぶ側の人間でありながらも今まで学んできたものを、体系の中で位置付けして整理したものを、当会での学習過程としていくつもりです。

2019年1月12日土曜日

馬賢達先生の通備拳 その2

馬鳳図先生から教えを受けた人達もそれぞれ各人の風格となっていったのでしょうが、馬賢達先生について言えば、学生時代に体育を専門に学ばれスポーツ各種(ボクシング・重量挙げ・その他球技等)をされた経験が反映され、独特の風格を有したと思われます。また、私の見聞きした事から馬先生は通備八勢などの養生功の練習はあまり好まれず、馬先生の気質、時代的、環境的な要因も加わり武術の実用を重んじ、それがまた、スポーツ各種の益するところをも柔軟に取り入れる事ができたのではないかと思います。例えば太極推手(八極拳の研究のために練習する)のようなものはそのままの形で練習体系に取り入れられ、その他有形無形のものは馬先生の技芸として消化された為(例えば筋トレ(西洋式?)、ただし、特にオススメはされなかった)、通備拳自体はほぼそのまま変化させなかったのではないか(或いは必然性がなかった)と思います。

2018年12月21日金曜日

馬賢達先生の通備拳

私が馬先生に学んでいた頃は、情報も少なかったこともあり、ただ一度、ある学習団の人達が馬明達先生のところで学んだ後、馬賢達先生のところに学びに来て、その時に馬明達先生のところの「鷂子穿林」という基礎練習の1つを見せてくれたのですが、「ウチとは違うなぁ」くらいの感想で、興味はあっても他の系統との違いについて調べたり深く考えたりする事はありませんでした。それから時は経ち、今ではかなり多くの情報を得ることが出来るようになると、その違いについて色々と考えさせられるようになりました。馬賢達先生の通備拳は古い形を残していると思われると以前書きましたが、それは「劈掛」「八極」「翻子」「戳脚」各門派の特徴が明確で、更に馬先生早年の時期に学ばれた白鴻順先生の通備拳は私が学んだものと若干の差異があり、その古い形こそ「馬賢達」という武術家を育てた根幹であり、古いものは良くて新しいものは良くないというのではなく、形とはその継承者の経験や思想、功夫の特徴などによっても変化するので、私が馬先生から学んだものは馬先生、或いは蘭州の方で発展したもので、更に馬先生の根幹を育てたものに近いであろう古い形のものを研究する事で、変化或いは進化する過程で失われたかもしれない大切な「何か」を見つけられるかもしれないのです。

2018年12月13日木曜日

どこまで発信するか

私が馬賢達先生から教わっていた頃、馬先生は私達数人の日本人学生に対して「なぜ通備拳を学んでいるのか?」と問われて誰かが、或いはみんなだったか、「人に教えるためです」と答えていたのですが、私は「好きだからです」と答えました。更に「将来、人に教えるのか?」というように問われて私は「教えません」と答えました。先生の話ぶりからすると通備拳を広く伝えたい、或いは君(つまり私)にとって人に教えた方が良い、というニュアンスに受け取ったのですが、私はようやく学べた通備拳や自得した物を人に教えたくなかったのでした。しかし、十数年のブランクの後、練習を再開して考えるようになったのは、自分の上達の為には他の人との練習が必要不可欠という事でした。そこで当会を始めようと思ったのですが、今ではかなり通備拳の内容が公開されていて、保守的な私としては、当会としてどこまで発信するかが課題です。検索しても引っかからないので、現時点でこのブログを見ている人はいないと思いますが、ブログにせよその他のSNSにせよ、不特定多数の人に知ってもらう為に、文字だけの発信では情報が少なすぎるので、いずれ動画は上げたいと思います。

2018年12月7日金曜日

「老通備」について

「老通備」という言葉は造語であり馬賢達先生の通備拳を指すということは書きましたが、名前の由来は、知り得る情報の範囲内での私の個人的な見解で、現在伝えられている通備拳の中で比較的古い形を残していると思われるからです。この点に関しては専門的に研究した訳ではないので、詳しい人がいれば後学の為に教えて頂ければ幸いです。また馬賢達先生の長い指導経験の間でも白鴻順先生が体育学院で学び始めた馬先生30代前半の頃と私が学び始めた60代中頃では変化もあり、それは馬先生自身のあらゆる経験と、また時々蘭州へも帰っていたようで、馬先生が「40歳位の頃に学び終わった」と話していた事を考えてみると、帰省した時に馬先生が若い頃に蘭州を離れた後の「変化した通備拳」を学ばれた可能性もあると思われます。そのため「老通備」という言葉は、この馬先生早年の頃の通備拳も指していて、その研究という意味もあります。