2019年12月1日日曜日
放鬆
武術において「放鬆」は重要視される事ですが、身体各部が放鬆状態でなければ、動きが制限されるばかりか、「勁」を到達点まで伝える事ができなくなり、通備拳においては「放長撃遠」を可能にする為にも必要な事です。授業中、馬賢達先生によく「放鬆しなさい」と注意されたのが、今でも鮮明に記憶に残っています。「放鬆」に近い言葉には「脱力」や「リラックス」があり、この「放鬆」を説明する時にこれらの言葉を使う事があると思いますし、実際、私もこの「放鬆」を西洋人の学生仲間に説明する時に「リラックス」という言葉を使いましたが、それぞれの言葉の本来の意味は兎も角、重要なのは身体内部の感覚で、最も適した日本語訳は「緩める」が妥当だと思います。では具体的に何を緩めるかと言うと筋肉(の緊張)を緩めるのですが、私は瞬間的な集中によって発せられる力の類いのみならず、歩法、身法等身体の運用に類する力も「勁」と解釈しており、この「緩める」とは私の得た感覚では全く力が抜けきった状態ではなく、余計な力を抜いた、或いは力みをなくした状態で、身体内で作用している「勁」を阻害しない状態にするための要領が「放鬆」なのです。「勁」とは揉練を経た力、つまり鍛錬でよく練られた力の事で、例えば突きを出す時に身体のどこかに力を込めてその力を用いるのは力む行為で先天的或いは感覚的(自分で力強く感じる等)なものに由来すると思われ、長い歴史の中で経験的、理論的、技術的に構築されたものの一つである力み等の濁りのない後天的な力が「勁」であり、「放鬆」と「勁」は不可分の関係で、「勁」という概念のない他の武術、武道さらに広げるなら身体運動全般においても、身体運動を阻害する体の強張りを「緩める」ことは上達の鍵であり、要訣なのです。
2019年10月18日金曜日
一長一短
身体運動全般、特にスポーツ等高いパフォーマンスが要求される運動では、より柔軟性は重要になってきますが、武術においても例外ではありません。武術の視点で見た場合、主な効能では難度の高いパフォーマンスの向上、怪我のリスクの軽減等が挙げられますが、その反面、多分に私の経験や観察による主観的考察では、特に高い柔軟性を持った人に陥りがちな事として発力の爆発力不足が、往々にして起こり得るという事です。通備門では下盤(腿法)の準備運動・基本功として直擺性腿法、上盤・中盤の通備拳基本功(左右単劈手等)の段階から爆発力を求め、直擺性腿法のみならず通備拳の身法(最大最小の運動)を身に付ける基本功でも高い柔軟性が必要になってくるのですが、例えば正踢腿をする時、柔軟性が高い人は容易に最も高い位置に蹴り上げる事が出来、そうでない人は同じように足を蹴り上げるのに相当の爆発力が要ります。その為、柔軟性の低い人は自然と爆発力がないと蹴り上げられないという事になるのですが、柔軟性の高い人は爆発力を必要とせずともそれなりのスピードで高く蹴り上げる事が出来るので、その感覚を知る事なくただの柔軟運動になってしまっている事が少なくない様です。これは上・中盤の功夫(擰腰等)でも同じで、当然全ての人に当てはまる訳ではないのですが、柔軟性の高い人は折角の好条件(素質や努力で得たスキル)がある種の練習を容易にさせ、必要なもの(この例では爆発力=発力)が無いという可能性が出てくる一方、柔軟性が低いという不利な条件が必要なものを自然と身に付けさせるという様に、どのような条件でも大きな視点で見れば一長一短の面があるのです。武術を志す人達は各人十人十色の好条件を持っていますが、容易にある事ができてしまうと、慢心してその事を深く追求せず惰性で練習しがちになり、折角の好条件も活かすことが出来ません。各人が様々な目的や目標を持って武術に携わってますが、もし少しでも今よりも高い境地を目指し追求するのであれば、今回例に挙げた基本功である正踢腿1つでも例えば柔軟性という長所短所それぞれの条件が違うスタートでも、その先には馬鳳図先生がなし得た正踢腿の上乗の功夫に到達する事も出来るでしょう。
2019年8月27日火曜日
武術家
中国武術の効能価値として大きく分けると「格闘」と「養生」の2つの方面が挙げられますが、一般的に「武術家」とは、格闘術を身に付けている人、或いは訓練している人を指していると思われます。「養生」に関しては運動による健身(フィットネス)、体療(ボディセラピー)、表演(競技参加)、それに伴う精神状態の調整、活動的な生活等の効能が挙げられますが、時代の変化と共に武術の有り様も変化してきているとは言え、「武術家」となるとやはり「格闘」の面が主になるでしょう。この「格闘」に関しても護身、散打(競技参加)等の効能が挙げられますが、馬賢達先生の経歴で19歳の時に並み居る強豪が参加した散打大会で優勝(短兵でも優勝)という輝かしい成績を残されてますが、私は馬先生の「武術家」としての実力を表しているのは、国内が内戦や文化大革命などで騒然としていた時代を生き、その中で数多くの実戦を経験されてますが、ある書籍で紹介されている憲兵数名との格闘でその数名を打ち倒したおり、その1人が拳銃を打ったが運良く当たらなかった、というエピソードにあると思います。このエピソードでは相手が複数、武器所持という不利な状況で戦ったのですが、これは基本的に同じ条件、一定のルールで戦う散打(競技)とは違うスキル、元々武術とは相手も自分も同じ条件、一定のルールで戦うことを想定されたものではないと考えれば、冒頭で述べたことを補足する形で「武術家」とはこういった不利な状況にも対応できるスキルを持っている、或いはそれを前提に訓練している人だと思います。更にそのスキルを身につける過程での自分の技量の確認、或いは武術を学ぶ目的それ自体としてなど、散打競技や套路競技に参加(そのための練習)をする事は、その人の武術自体に深みを与え豊かなものする事が出来るのではないでしょうか。
2019年7月18日木曜日
活動再開
今月、約1年半ぶりに老通備研究会の活動を再開しました。正確には当会の前身となる他県への個人教授の再開になるのですが、現在私の唯一の学生であり中国留学時代からの友人との練習は非常に楽しい時間でした。久しぶりだった為か予定通りのスケジュールで進まなかった事が課題になりました。
授業の様子 (他の動画もYouTubeにアップしてます。)
2019年6月23日日曜日
中国武術
私は馬賢達先生に教えていただいていたある時期、馬先生の話を参考に散手に最も有効なものとして突きの練習をよくやっていて、また腿法、単招練習、対抗性練習なども合わせて練習すれば、套路を練習する必要性を感じなかったので、馬先生に「套路は何のために練習するのですか?」と聞いてみました。馬先生は「能力協調」とまさに私の質問の意図するところを単純明快な一言で答えてくれました。套路は単招を組み合わせたものなので、「能力協調」とは「単招の能力の協調」と考えて間違いないと思いますが、この「能力」を別の言葉で言い換えるなら「勁」が最も適していると思います。「勁」とは後天的な力、揉練を経た力を指しますが、それは身体の中で動き(歩法、身法等)を作り出す力も含むので、「能力」とは内面の働きである「勁」が外面に発揮されたものと言っていいと思います。「能力の協調」とは「勁の協調」と言い換えることができ、この個別(各招法)の「勁」を途切れさせない(協調)こととは、単に招法と招法の間を詰めて矢継ぎ早に連続させればいいというものではなく、例えば一見、畜勢の状態では動きが止まった(断勁)ように見えても内面では意と勁は断たれておらず畜力待発の状態であり、そういった緩急を繋げて協調させるのです。「慢拉架子 快打拳 急盘招」という言葉がありますが、この内「快打拳」は套路などに於いては速く打つことを求めている訳ですが、それは練習に於ける各規格を満たした上でのことで、散手や実戦での規格に拘らないでさらに速さを求められる「急盘招」とは違うのです。そしてこの「勁」(能力)の中に攻防技術を求めること(協調も含む)が中国武術の本来の姿でそれを散手の場面で活かせるようにするべきで、それのない攻防技術を散手練習でするのであれば、「散手」と「中国武術」(基本、套路等)を別のものとして練習していることになり、「中国武術」或いは「○○門」とは名ばかりの格闘術になってしまうのです。通備門においても初歩の散手練習では単純な進攻と防守の練習から始め様々な要素を付加していったりしながら、易から難へと段階的に進んで散手のような場面においても練習で得た「勁=能力」を発揮できるようにしていくのです。
2019年5月16日木曜日
学習と練習
先生から武術を学ぶ時にその授業中、当然練習という形を取るわけですが、ここで少し考えるべき事に、学習と練習の違いがあります。私自身そういった意識の礎となるものは、私が一番最初に学んだ楊継生先生の頃にあったように思います。楊先生は家伝が査拳で何福生先生や馬頴達先生などの先生方にもそれぞれ形意拳や通備拳などを学ばれた人です。初心者だった私は武術基本功と十路弾腿から学び始めたのですが、諸事情から私はあまり熱心ではなく、とりあえず先生から言われたメニューを消化するだけでした。しかし、他の学生が練習するのを見たり、先生の話を聞いたりしているうちに、今学んでいる基礎の部分をしっかり身に付けようと気持ちを改めました。それから新しいものも学びましたが、私が着目しよく練習したのが最初の頃に学んだ十路弾腿です。先生の話によれば、十路弾腿(おそらくその時学んだ練法)は功夫を練るもので、先生が子供の頃にはその弾腿だけを休む事なく連続で30分程は大量の汗や涙を流しながらでも父親から練習させられた、という話を聞いて感ずるものがあり先生の授業とは別にそういう練習をするようになりました。その当時はまだはっきりと意識はしてなかったのですが、後に馬先生に学び始めた頃から、馬先生自身も父親の馬鳳図先生の下での練習以外にも自主練をしたという話をされていた事もあり、私にとって授業は学習で自主練こそが練習であると解釈していました。馬先生は武術のレベルの5段階として、「会」「対」「好」「妙」「絶」と言われた事がありますが、「会(できる)」「対(正しい)」「好(よい)」までは先生が教える事はできますが「妙、絶」になると、教えられて到達するというのとはまた別の類のものではないかと私は考えます。しかし、どのレベルでも本人が習得出来なければ、次のレベルには進めません。そして、その作業(練習=自主練)が、授業(学習)とは別のものであると認識し、もし本人が学んだという事に満足するのではなく、上達することを望むのであれば、先生の授業だけで練習をしたつもりになっていては、上の方のレベルに行く事はできないと思うのです。
2019年3月29日金曜日
自得
武術に限ったことではありませんが、先生から技術や練習方法などを教えてもらうというのは一般的な学習法ですが、私の経験上、先生が手取り足取り何から何まで教えてくれる事はなく、間違っているところや良くないところは注意はしてくれますが、出来るようになる為の方法までは教えてくれる事はなかなかありません。それにはいくつかの理由が考えられますが、こういった形での教授法は伝統的な文化の継承では珍しいことではないと思います。そこで学生に求められるのが「自得」になりますが、それには目標とするビジョンが必要で、先生の動きを模範にする事はできますが、「自得」とは今話したようなその門派の技芸の伝承だけではなく、武術ならば自分の得意なものや自分(身体的特徴や特性など)に合ったものを磨いていくというのも「自得」の範疇に入るのです。この「自得」は繰り返し練習していく中で自然に気付きがあったり、理論が構築されたりしながら会得していくのですが、その過程で疑問や迷いが出てくる場合もあります。その疑問や迷いがその時のスキルで解決できない時や、或いは研究熱心なあまり、他のところから似ているなどという理由から技術や理論を持ち込んでしまう事もあるかも知れません。通備門に於いて他門派の技術を採り入れることは否定される事ではありませんし、採り入れられたものはやがて「染化」され統一されるのですが、まだ通備拳として完成されてない人が、それを「染化」させ統一させる事はできません。歴史ある門派ならば、疑問や迷いの答えはそこにあるはずですし、また歴代の先輩方の故事、エピソードの中にもヒントや目標となるビジョンがあることもあるのです。
2019年2月25日月曜日
基本を大切に
初学者が最初に学び始めるものとして「通備弾腿」が一般的なようだと前回書きましたが、そこに求められるものは、なかなか体現出来るものではありません。なぜなら、歩型こそ馬歩、弓歩などの中国武術の初学者が最初に身に付けるべき物ですが、身体の操作法などの要求はその他のものと変わらないからです。この身体の操作法とは「大開大合」「擰腰切胯」などで、これらを実現するためには体力、柔軟性、身体意識(自分の身体の位置関係の把握)等が必要になってきます。因みに「中国武術大辞典」に拠れば、「通備弾腿」は馬鳳図先生が原有(←原文ママ)の弾腿の基礎の上に(中略)大量改進(←原文ママ)したとあるので、今のような練法になったのは馬鳳図先生から馬賢達先生の世代の頃という事になり、また「通備弾腿」を「入門技芸」と解説しています。私が馬先生の下で学んでいた頃は必ず基本の練習から始まり、その密度はその他の練習よりも高いくらいでした。その他の練習のための準備運動も兼ねているとはいえ、馬先生が基本を重視していたのは、限られた時間内でも基本の練習にかなりの時間を割いていたことからも容易に想像できます。「通備弾腿」に限らずその他のものにも、実用に向けてそれぞれ求めていくものがありますが、それらを身につけ体現するための通底した運動能力、或いは下準備というのが「基本」と言えると思います。武術で成功するためには基本を疎かには出来ないのです。
2019年2月1日金曜日
学習過程
通備門において初学者は十蹚弾腿から始めるのが一般的なようですが、私が最初に学んだのは一路劈掛拳でした。当時、馬先生は忙しかったためか学び始めた最初の頃は、代理として白鴻順先生が教えてくれたのですが、劈掛拳を最初にしたのは馬先生の指示か、或いは白先生の考えだったのかは分かりません。私見によれば一般的な学習の流れとして劈掛拳等の複招からなる套路は十蹚弾腿のような単招の後に学ぶのが自然に感じます。特に十蹚弾腿は馬歩、弓歩等通備拳というより中国武術の基本を学ぶには最も適していると言えるでしょう。但し、八極拳に於いては、単招練習である「金剛八勢」よりも、「架子功」としての位置付けである「八極小架」を先に練習する方が自然に感じます。もし、馬先生が劈掛拳から学ばせるようにしたのであれば、かなり昔の事で何を話したか記憶がないのですが、馬先生との面談の時に武術経験がある事を伝えた可能性があり、十蹚弾腿は後からでもいいと考えたのかも知れません。余談ですが、八極拳も「八極拳」を先に学び「八極小架」が後だったのですが、本来「八極小架」、「八極拳」の順で学ぶのですが、これは白先生の考えで先に「八極拳」になったと思います。このように私は体系的順序を追って学んできたわけではないのですが、現在進行形で私自身も学ぶ側の人間でありながらも今まで学んできたものを、体系の中で位置付けして整理したものを、当会での学習過程としていくつもりです。
2019年1月12日土曜日
馬賢達先生の通備拳 その2
馬鳳図先生から教えを受けた人達もそれぞれ各人の風格となっていったのでしょうが、馬賢達先生について言えば、学生時代に体育を専門に学ばれスポーツ各種(ボクシング・重量挙げ・その他球技等)をされた経験が反映され、独特の風格を有したと思われます。また、私の見聞きした事から馬先生は通備八勢などの養生功の練習はあまり好まれず、馬先生の気質、時代的、環境的な要因も加わり武術の実用を重んじ、それがまた、スポーツ各種の益するところをも柔軟に取り入れる事ができたのではないかと思います。例えば太極推手(八極拳の研究のために練習する)のようなものはそのままの形で練習体系に取り入れられ、その他有形無形のものは馬先生の技芸として消化された為(例えば筋トレ(西洋式?)、ただし、特にオススメはされなかった)、通備拳自体はほぼそのまま変化させなかったのではないか(或いは必然性がなかった)と思います。
登録:
投稿 (Atom)