2018年12月21日金曜日
馬賢達先生の通備拳
私が馬先生に学んでいた頃は、情報も少なかったこともあり、ただ一度、ある学習団の人達が馬明達先生のところで学んだ後、馬賢達先生のところに学びに来て、その時に馬明達先生のところの「鷂子穿林」という基礎練習の1つを見せてくれたのですが、「ウチとは違うなぁ」くらいの感想で、興味はあっても他の系統との違いについて調べたり深く考えたりする事はありませんでした。それから時は経ち、今ではかなり多くの情報を得ることが出来るようになると、その違いについて色々と考えさせられるようになりました。馬賢達先生の通備拳は古い形を残していると思われると以前書きましたが、それは「劈掛」「八極」「翻子」「戳脚」各門派の特徴が明確で、更に馬先生早年の時期に学ばれた白鴻順先生の通備拳は私が学んだものと若干の差異があり、その古い形こそ「馬賢達」という武術家を育てた根幹であり、古いものは良くて新しいものは良くないというのではなく、形とはその継承者の経験や思想、功夫の特徴などによっても変化するので、私が馬先生から学んだものは馬先生、或いは蘭州の方で発展したもので、更に馬先生の根幹を育てたものに近いであろう古い形のものを研究する事で、変化或いは進化する過程で失われたかもしれない大切な「何か」を見つけられるかもしれないのです。
2018年12月13日木曜日
どこまで発信するか
私が馬賢達先生から教わっていた頃、馬先生は私達数人の日本人学生に対して「なぜ通備拳を学んでいるのか?」と問われて誰かが、或いはみんなだったか、「人に教えるためです」と答えていたのですが、私は「好きだからです」と答えました。更に「将来、人に教えるのか?」というように問われて私は「教えません」と答えました。先生の話ぶりからすると通備拳を広く伝えたい、或いは君(つまり私)にとって人に教えた方が良い、というニュアンスに受け取ったのですが、私はようやく学べた通備拳や自得した物を人に教えたくなかったのでした。しかし、十数年のブランクの後、練習を再開して考えるようになったのは、自分の上達の為には他の人との練習が必要不可欠という事でした。そこで当会を始めようと思ったのですが、今ではかなり通備拳の内容が公開されていて、保守的な私としては、当会としてどこまで発信するかが課題です。検索しても引っかからないので、現時点でこのブログを見ている人はいないと思いますが、ブログにせよその他のSNSにせよ、不特定多数の人に知ってもらう為に、文字だけの発信では情報が少なすぎるので、いずれ動画は上げたいと思います。
2018年12月7日金曜日
「老通備」について
「老通備」という言葉は造語であり馬賢達先生の通備拳を指すということは書きましたが、名前の由来は、知り得る情報の範囲内での私の個人的な見解で、現在伝えられている通備拳の中で比較的古い形を残していると思われるからです。この点に関しては専門的に研究した訳ではないので、詳しい人がいれば後学の為に教えて頂ければ幸いです。また馬賢達先生の長い指導経験の間でも白鴻順先生が体育学院で学び始めた馬先生30代前半の頃と私が学び始めた60代中頃では変化もあり、それは馬先生自身のあらゆる経験と、また時々蘭州へも帰っていたようで、馬先生が「40歳位の頃に学び終わった」と話していた事を考えてみると、帰省した時に馬先生が若い頃に蘭州を離れた後の「変化した通備拳」を学ばれた可能性もあると思われます。そのため「老通備」という言葉は、この馬先生早年の頃の通備拳も指していて、その研究という意味もあります。
2018年12月6日木曜日
はじめまして
この度、自身の向上とこれまで学んだもの、これから学ぶものを次代に伝えられればと考え「老通備研究会」を設立したいと思い立ちました。「老通備」とは造語ですが、現在のところ馬賢達先生の伝えられた通備拳を指します。当会の活動は今現在、何も決まっていませんが、これから少しずつ決めていき活動できるようになればと思っています。福岡県春日市近郊にお住まいで興味のある人は是非参加して下さい。
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