2019年8月27日火曜日
武術家
中国武術の効能価値として大きく分けると「格闘」と「養生」の2つの方面が挙げられますが、一般的に「武術家」とは、格闘術を身に付けている人、或いは訓練している人を指していると思われます。「養生」に関しては運動による健身(フィットネス)、体療(ボディセラピー)、表演(競技参加)、それに伴う精神状態の調整、活動的な生活等の効能が挙げられますが、時代の変化と共に武術の有り様も変化してきているとは言え、「武術家」となるとやはり「格闘」の面が主になるでしょう。この「格闘」に関しても護身、散打(競技参加)等の効能が挙げられますが、馬賢達先生の経歴で19歳の時に並み居る強豪が参加した散打大会で優勝(短兵でも優勝)という輝かしい成績を残されてますが、私は馬先生の「武術家」としての実力を表しているのは、国内が内戦や文化大革命などで騒然としていた時代を生き、その中で数多くの実戦を経験されてますが、ある書籍で紹介されている憲兵数名との格闘でその数名を打ち倒したおり、その1人が拳銃を打ったが運良く当たらなかった、というエピソードにあると思います。このエピソードでは相手が複数、武器所持という不利な状況で戦ったのですが、これは基本的に同じ条件、一定のルールで戦う散打(競技)とは違うスキル、元々武術とは相手も自分も同じ条件、一定のルールで戦うことを想定されたものではないと考えれば、冒頭で述べたことを補足する形で「武術家」とはこういった不利な状況にも対応できるスキルを持っている、或いはそれを前提に訓練している人だと思います。更にそのスキルを身につける過程での自分の技量の確認、或いは武術を学ぶ目的それ自体としてなど、散打競技や套路競技に参加(そのための練習)をする事は、その人の武術自体に深みを与え豊かなものする事が出来るのではないでしょうか。
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