2019年6月23日日曜日

中国武術

私は馬賢達先生に教えていただいていたある時期、馬先生の話を参考に散手に最も有効なものとして突きの練習をよくやっていて、また腿法、単招練習、対抗性練習なども合わせて練習すれば、套路を練習する必要性を感じなかったので、馬先生に「套路は何のために練習するのですか?」と聞いてみました。馬先生は「能力協調」とまさに私の質問の意図するところを単純明快な一言で答えてくれました。套路は単招を組み合わせたものなので、「能力協調」とは「単招の能力の協調」と考えて間違いないと思いますが、この「能力」を別の言葉で言い換えるなら「勁」が最も適していると思います。「勁」とは後天的な力、揉練を経た力を指しますが、それは身体の中で動き(歩法、身法等)を作り出す力も含むので、「能力」とは内面の働きである「勁」が外面に発揮されたものと言っていいと思います。「能力の協調」とは「勁の協調」と言い換えることができ、この個別(各招法)の「勁」を途切れさせない(協調)こととは、単に招法と招法の間を詰めて矢継ぎ早に連続させればいいというものではなく、例えば一見、畜勢の状態では動きが止まった(断勁)ように見えても内面では意と勁は断たれておらず畜力待発の状態であり、そういった緩急を繋げて協調させるのです。「慢拉架子 快打拳 急盘招」という言葉がありますが、この内「快打拳」は套路などに於いては速く打つことを求めている訳ですが、それは練習に於ける各規格を満たした上でのことで、散手や実戦での規格に拘らないでさらに速さを求められる「急盘招」とは違うのです。そしてこの「勁」(能力)の中に攻防技術を求めること(協調も含む)が中国武術の本来の姿でそれを散手の場面で活かせるようにするべきで、それのない攻防技術を散手練習でするのであれば、「散手」と「中国武術」(基本、套路等)を別のものとして練習していることになり、「中国武術」或いは「○○門」とは名ばかりの格闘術になってしまうのです。通備門においても初歩の散手練習では単純な進攻と防守の練習から始め様々な要素を付加していったりしながら、易から難へと段階的に進んで散手のような場面においても練習で得た「勁=能力」を発揮できるようにしていくのです。